「たかじんのそこまで言って委員会」で
死刑廃止論者の意見を少し聞きながら
うむむむ・・・と考え込んでしまった。
人が人を裁くことは出来ない
(出来るのは神・仏のみ、ということなのか?)
被害者の代わりに国家が仇討ち…殺しても、遺族はうかばれることはない
少年事件は「青春のひとこま」
人が人を裁くことは出来ない、ということは
宗教的に考えると是なのかもしれんけれど
あとのことって「何ふざけたこと考えてるんや」
って考えてしまった。
廃止論者は「どんな世の中」を望んでいるんだろう、って。
高尚すぎて…一般の人には理解できんのかもしれない。
でもそんな世の中作ろうと思ったら
全ての人がお坊さんとか修道女とか
悟りきってつきぬけた人ばかりにならなきゃ無理、と思う。
で、そうなると自然
死刑に値するような犯罪そのものがなくなってると思うんですけど。
光市母子殺害の福田みたいに
池田小
児童殺害の宅間みたいに
「なんでそこまで悪意にまみれることができるのか?」
と
こっちが気分が悪くなるような人は
出てこないと思うんですけど。
そんな世の中、絶〜〜〜〜〜対、ムリ!!!
罪の意識って
人それぞれレベルが違うんだもん。
同じ「いじめ」にしても
いじめていた本人がケロッとしていても
傍観していた人のほうが
一生気に病んでいたりするわけでしょ…
人が交通事故で亡くなったとして
死に至らしめてしまった、と
結婚もしないで
遺族のために送金し続ける人もいれば
飲酒で逃げて、証拠隠滅のために水飲んだりして
裁判のときには
「被害者側の運転手も居眠り運転をしていた」なんて言ったりして
ずっと逃げよう、逃げようとする人だっている。
罪の意識って
どれだけ「向き合うか」かと思う。
傷つけた相手の苦しみについて。
傷つけた自分の愚かさについて。
向き合って見つめ続けた結果
自分を見失ってしまう人もいるけど・・・
逃げてうそぶいているような人に比べれば
まだ人間らしい気がするよ。
posted by はね吉 at 00:46| 兵庫

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どやねん。
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