東京都の石原慎太郎知事が、3選を果たした直後の8日の記者会見で、
阪神大震災(95年)について
「(自衛隊に派遣要請する)首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と発言したことに対し、
兵庫県の井戸敏三知事は9日、「いいかげんな議論はしていただきたくない。誠に失礼だ」と不快感を示した。
井戸知事は「阪神大震災の問題は、不意打ちだったということ。犠牲になられた方はほとんどが圧死だった」と指摘。
「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと(提供:毎日新聞)
これについてはさまざまな人が遺憾に思ったはずです。
「俺だったらすぐにでも自衛隊の出動要請をして、被害者の拡大を食い止めることが出来るぜ」
って言いたかったんでしょうね。
「俺は必要なときには迷わずに判断して行動できる男だぜ」
って言いたかったんでしょうね。
なんだか悔しくて情けなくて、腹立たしくて
なんでかっていうと
あの地震で人生の変ってしまった人がいっぱいいて
苦しんだ人がいっぱいいて
そのなかで
助け合ったこと励ましあったこと
それで12年、復興に向けて頑張ってきたこと
みんな誰も忘れずに
忘れられるはずもなく年を重ねてきているのを
そんな見当違いの一言で
だからこの地震からの積み重ねを
なんて言おうとしたんだろうって
そしたら、こんな新聞記事を見つけました。
記者の目:石原・都知事の阪神大震災発言=小園長治(豊岡支局)毎日新聞より
◇根拠、ぜひ聞かせてほしい−−遺族・被災者へ説明責任
石原慎太郎・東京都知事が3選直後の記者会見で、阪神大震災について、「首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と述べた。神戸・ポートアイランドの自宅で震度7の直撃を受けたあの時のように心が震えた。当時神戸支局員で、その後もずっと震災にこだわってきた私だが、初めて聞く数字だった。石原知事は同じ会見で、「(選挙中)陰湿に根拠のないバッシングをされた」と、「根拠」にこだわり、不満をぶつけている。ならば、きっと、自分の発言には根拠があるのだろう。ぜひ聞かせてほしい。知事には震災遺族や被災者に対し、説明責任がある。
おそらく、石原知事は、当時の兵庫県知事、貝原俊民さん(73)の登庁時刻と自衛隊派遣要請時刻を問題視し、「オレなら違うよ」とアピールしたかったのだと思う。これについて貝原さんは「石原さんは、とんでもない見当違いをしています。あぜんとしました」と驚きを隠さない。未曽有の地震で災害対策本部の責任者をした者として、自衛隊派遣要請の早さと、犠牲者数の多さを安易に結びつけようとする考えに、違和感を覚えているようだ。
確かに、貝原さんが県庁に到着したのは午前8時20分ごろで、地震の発生から2時間35分後だった。自著「大震災100日の記録 兵庫県知事の手記」(ぎょうせい)で、「どうにかして早く登庁しておればとの悔いは今も残る」と率直に反省し、心情を吐露している。
しかし、当時、神戸は電話回線がズタズタになっており、貝原さんの官舎と県庁がつながったのは、ようやく7時過ぎだった。「110番に電話しても通じないので、単独で登庁することも考えたが、優に40〜50分はかかるだろう。その間、音信不通のまま、私が所在不明となるわけにはいかないし、公舎が県庁の次に連絡がとれやすい場所なので、状況をある程度把握できるまで連絡を待った」と、公舎待機の理由を書いている。難しいが、一つの判断だったことは間違いない。
自衛隊派遣要請が遅れた最大の理由も、通信機能のマヒだ。午前7時ごろに県庁入りできた私は、官舎の貝原さんから指示を受けた職員が、懸命に自衛隊と連絡をとろうとしている姿を見ている。初めて交信できたのは、午前8時10分。ただ、被災状況が不明なため、出動準備だけを依頼しており、正式な「出動要請」は、姫路市に駐屯している陸上自衛隊第3特科連隊と電話が通じた午前10時となった。
兵庫県は地震から100日目に「自衛隊への感謝の集い」を開いた。自衛隊が被災者をさまざまな意味で助けてくれたことは、万人が認めるところだ。しかし、大震災から命を守るもの、言い換えれば防災・減災の要は建築建造物の耐震化であり、人命救助は「自助」「共助」「公助」の順に進むものである。石原知事は、この阪神大震災の教訓を素直に受け取り、対策を誤らないでほしい。
傲慢な人に素直に受け入れてもらえるのかどうか
皮肉を言ってるくらいにしか聞こえないでしょうか。
多分、聞く耳を持たないように思うんですけどね。
4月9日付けの「新そのまんま日記」に都知事選について書いてあったのですがそのことについても、「田舎モノがいい気になって」なんて言っちゃったそうですね。
東京以外の人は、音がするくらい、ブンブン首を縦にふってたと思うんですけど。
けれど、本当に震災について認識をちゃんとしておかないと、
エライ目にあいませんか?
一度、視察にいらっしゃいませ!


